IFSMA便りNO.28


船内における証拠の保全と個人への配慮

3月のIFSMA理事会で審議された議題の中に「船内における証拠の保全と個人への配
慮」“Preservation of evidence and pastoral care” があり、提出された文書は“The Crime Manual for Shipハシs Security Officers” と題されたマニュアル案であった。
筆者はこの理事会に出席出来なかったのだが、この文書は読んでみるとなかなか面白い。これまでほとんど扱われることの無かった船内における犯罪などの処理方法を扱ったものである。これは主として客船を対象としたものであるが、客船以外の船舶でも起こりうる人身事故や犯罪を扱ったものであるので、ここで紹介することとした。
このマニュアルでいうShip’s Security OfficersはISPSコード(「国際船舶及び港湾施設保安コード」)の船舶保安管理者を意味するのではなく、客船などの警備担当職員を指している。そのため本稿では明らかにISPSコード上の船舶保安管理者を指す場合を除いて、警備担当者とした。法律用語やテクニカル・タームについて筆者には不案内な箇所も多く、なるべく専門書にあたるようにしたが、整合性に欠ける部分もあるかと思う。この点は予めご了承願いたい。興味のある方はぜひ原文に当たって戴きたい。“The Crime Manual for Ship’s Security Officers”ですぐに原文にアクセス可能である。
もともとこのマニュアルは英国のハンプシャー州の警察本部が作成したものである。
ハンプシャーは英国南部の州で英仏海峡に面しており、英国の主要港であるサザンプトンとポーツマスを擁している。客船や軍艦の入港も多いところから、船内における犯罪の捜査に関わることも多く、このようなマニュアルを作成したのである。
このマニュアルをIFSMAが取り上げたのは、英国の海事社会の一部でこのマニュアルに基づいて船長及び船舶職員用のマニュアルをIMO(国際海事機関)に提案し、出来ればガイドラインとして採択し、さらにはこのマニュアルに基づく知識をSTCW 条約(船員の訓練・資格証明・当直基準条約)上の船長及び職員に対する要件としたいとの意向があるからである。
このマニュアルがIMOで審議され何らかの形で採択されることが船員にとって必要なことなのかどうかは議論の余地が十分にあるが、それはともかくそのような動きがあることと、さらにはこのマニュアルに書かれている情報や知識が客船以外でも必要となるケースは十分にありうると思うのでここに紹介する次第である。
このマニュアルがIMOで取り上げられるのかどうかは全く判らないが、STCW条約のマニラ改正に基づくモデル・コースの見直しやガイドラインの整備が一段落すれば、このマニュアルなどが取り上げられる可能性もあるだろう。
さて、このマニュアルには目次がついていないが、29の大見出しがついている。
この大見出しに従って船長として知っておけば何かの役に立ちそうな情報を拾ってみたいと思う。

Marine Socletyのポスター

1.Forward

まずは巻頭言である。洋上にある船舶で発生した犯罪をどのように取り扱うかを述べたものである。ISPSコードによる船舶保安管理者の研修においては、通常は犯罪捜査や証拠の保全などについては講義されることはなく、そのため船内で事件が起きた場合その処理に混乱を生じ、必要な行動を取らぬか、あるいは誤った行動を取る可能性がある。そうなると重要な証拠や手がかりは失われ、真相は解明されず、関係者や会社の名誉を傷つけ、ひいては大きな金銭上の問題をも惹起する可能性があると警告している。
このマニュアル作成に当たっては、ハンプシャー州警察本部は関係官庁、英国海上保安庁や海運界などと緊密な連絡を取ったとも記されている。またこのマニュアルを効果的に使用するのにはパソコンを利用することを強く勧告している。それは各種の書式や書類のサンプル、関係法規のリンクが張られており、ワン・クリックで必要な情報を入手することが出来るからである。

2.Basic Initial Steps

警備担当者はもし事件が重大なものであれば直ちに船長など上級幹部に連絡し指示を受けること、そして事件が犯罪と想定される時は
>犯罪発生場所を特定する 往々にして犯罪現場は複数にまたがることがある。
>陸上の警察など外部の機関が出動するような場合は犯罪現場を保存することが何より重要である。
>被害者を特定し、容疑者を割り出し、居場所を突き止め、拘留する。
>目撃者/証人を見つける。また関係者の供述書を取得する。
>犯罪発生の現場で捜査上必要な証拠を収集する。
>報告書を作成する。
重要な証拠を収集し犯罪を解決する最も重要な機会は最初の数時間であり、この時間を英語ではGolden Hour Principle と呼んでいる。

3.Security Incident Reports

警備担当者による報告書の作成は最も重要な作業であるが、ここでも新聞記事と同様に5W1H、すなわちWho, What, When,Where, Why and How が必須というわけである。この報告書は法廷で証拠として採用さる可能性があるので、正確性と文書としての完璧性が求められる事に留意しなければならない。

4.Powers of a Security Officer

警備担当者がどのような権限をもっているのかは、実際の調査に当たって極めて重要なことである。質問したり供述を求めたりすることは可能であるが、強制することは出来ない。また警備担当者は本人の同意なくして所持品検査や捜索を行う権利はない。しかし旅客や乗組員は通常旅行約款や雇用契約で暗黙の同意を与えているとみなされる。また所持品の検査や捜査によって発見された証拠とみなされる物品はこれを保管することは認められるであろう。安全上の理由、船内にある者の生命もしくは船舶に危害を及ぼす恐れがある時など必要あれば被疑者などの拘束も行うことが出来るが、それは細心の注意を払って行わねばならない。
一方 ISPSコードにおいては船舶保安管理者はこのコードに基づいて、必要な措置を講ずる権限があり、また船長には1995年の英国商船法のS. 105 Master’s Power of Arrestの権限があり、船舶の安全や秩序の維持、規律の保持のために必要あるいは適切な手段と認めた場合は船上に在る誰であれ拘束することを可能としている。日本の船員法では第25条、第26条及び第27条に同様の定めがある。
この項は本船船長及び警備担当者にとって極めて重要な事項であるが、どのような事態に対してどのような権限と手続き及び注意をもって行動するのかは難しい問題である。出来る限り会社や陸上の機関と綿密に連絡を取って行動する必要がある。

5.Initial Investigation

2.項でも述べたThe Golden Hour Principleが強調されている。いかに適切な初動が大切か、初期捜査が問題解決にいかに重要かが述べられている。そして初動の基本的な手続きとして、
犯行現場の推定
犯行現場の保存
被疑者への質問
被害者/目撃者への質問
犯行現場の写真撮影
犯行に関わる物品などの保存・保管
被害者/目撃者へのインタヴュー
報告
供述書
また直ちに被疑者と被害者を隔離することは問題の解決のためにも証拠の保全にためにもさらには双方の安全の為にも必要なことである。

6. Notebooks 及び 7.Electronic Recording Devices

記録を取ることの重要性は繰り返し強調されている。記録を取る理由はただ一つ“So we donハシt forget what happened” である。どうような事項を記録すべきかが13項目にわたって列挙されている。ノートによる記録の他デジタル・レコーダーやデジカメの活用は有力な手段として推薦されている。

8.Witness Statements

目撃者/証人の供述書作成については、印刷可能な書式がリンクして提供されている。
これに沿って書けば間違いないが、ここでも5W1Hが必須である。また目撃者/証人と
のインタヴューでは礼儀正しく、丁寧にしかし断固たる姿勢が必要である。また質問の方法としてTED すなわち
T=Tel me
E=Explain to me
D=Describe
といった用語を用い、Yes or No で答えられClosed Question ではなく、説明を必要とするOpen Questionを用いなければならない。誘導尋問や答えを暗示するような質問も避けねばならないとして、例として質問のいくつかが挙げられているので引用してみたい。
Wrong : ‘I understand that Sarah GREEN was with you’
Right : ‘Who else was with you?’
Wrong : Is it right that you were standing
at the bar when the assault took place’
Right : ‘Where exactly were you at the
time the assault took place?’
Wrong : ‘Is it right you last spoke to Bill SMITH at lunch time yesterday’
Right : ‘When was the last time you spoke to Bill SMITH prior to the assault?’
Wrong : ‘I understand that there has been some ill feeling between you and Bill SMITH’
Right : ‘Why did Bill SMITH assault you,
can you give any reason?’
Wrong : ‘Was Bill SMITH wearing a green sweater?’
Right : ‘Describe what clothing Bill SMITH was wearing when he assaulted you?’
Wrong : ‘At the time of the assault you must have been very frightened’
Right : ‘Can you explain how you felt after the assault?’

9. Suspected Persons 窶骭€ Statements & Interviews

一般的に被疑者へのインタヴューは会社や関係機関の指示やガイダンスが無い限り、避けるべきであるとしている。これはインタヴューが適切な法律に基づいて行われない限り、被疑者の供述は法廷において証拠として採用されない可能性が大きいからである。船内でこうしたインタヴューを行うのは極めて強い必要性が無い限り避けた方が無難であろう。

10.Exhibits

凶器などの証拠物件の取得と保管は特に注意を要する。基本的な情報、それは何か、何処で見つけたのか、誰が見つけたのか、何時見つけたのか、は正確に記録されなければならない。写真を取るのも有効である。また小見出しで” Continuity” として説明されていることは、誰が見つけて誰が保管しているのか、現在どこにあるのか、その連続性/継続性を確保し記録することが最も重要である、としている。

11.Searching of Persons

通常本船の警備担当者には持物検査や身体検査をする権限はない。しかし旅客や乗組員は通常旅行約款や雇用契約で暗黙の同意を与えているとみなされる。一方拘束された人物については身体検査を行わねばならない。それは船体の安全や乗組員や旅客への危険、あるいは自傷・自害の恐れがあり拘束する必要性があるからと言える。

12. Physical Evidence 及び 13.Criminal Offences

ここでは事件現場の保存について詳細に述べられている。事件現場の確定、保存、出入りの管理、証拠の保存等について詳細な説明がなされ、記録の取り方もその書式と共に説明がなされている。また犯罪の種類に基づく対処の方法、証拠の収集についても記述があり、性犯罪や児童に対する犯罪についてもその取扱いについて詳細な説明があるがここでは割愛する。
今日、犯罪捜査に当たってDNA の果たす役割は極めて大きい。そのためこのマニュアルではDNA の採集の仕方、保存の方法が詳細に説明されている。またDNA の採集を主たる目的としたEvidence Collection Kit Listも提示されている。

14.Minor Matters

これには船内の騒音に関する旅客のコンプレインとアルコールの問題について書かれている。アルコール問題については、これ以上飲酒をすると周囲に迷惑を掛け、また健康上にも問題があると判断された場合はアルコールの提供を拒否することが奨励されており、アルコールの提供を拒否した場合にはその記録を残すために ” Refusal of Service Log” なるものの書式も用意されている。

15.Bomb Threats

爆発物を仕掛けたとの脅迫事例は客船などでは無視できないもののようで、このマニュアルはその対策にもページを割いている。特に電話による脅迫についてはチェックリストも用意されている。電話の受け手は冷静にして感情を表さず、とにかく脅迫者から出来る限りの情報を引き出すのが最も重要である。

16.Missing Person/Drowning

行方不明となった旅客や乗組員の捜索については流れ図が用意されている。海中転落と判断されれば、あとは船員の常務である海中転落者の救助に関するマニュアルに沿って行動するわけであるが、筆者にとって目新しかったのは、転落したと推定される海域の海水をくみ取って証拠として保管することが重要であるとしていることである。これは溺死者が回収されて司法解剖をした時、肺に残っている海水と比較して転落時に既に死亡していたのかどうかなどが判断できるという。

17.Piracy

このマニュアルでは6 ページにわたって海賊対策について述べているが、これはBest Management Practices for Protection against Somalia Based Piracy(BPM4 )を超えるものではない。このマニュアルは民間武装警備員の採用については否定的な見解を述べている。原文を引用すると次のごとくである。
“If considering additional private security it is not advised to use armed guards as there are serious risk involved”.
現在では民間武装警備員の採用は殆どが肯定的に受け止められており日本でも武装ガード法案が国会に提出されるような状況にあってこのような見解がある理由は良くは分からないが、一つにはこのマニュアルの草案作成時期が2009年であり、まだ民間武装警備員の実績が少なかったことであり、また警察としては軍隊ならいざ知らず、民間人が銃撃戦を行うことの問題の複雑さを懸念しているのであろう。あるいはインド漁師2名を海賊と取り違えて誤殺しインド・イタリア間の外交問題までに発展した石油タンカーEnrica Lexieのイタリア海兵隊員のような事件を懸念していたのかも知れない。

18. Sudden Deaths and Fatal Accidents

船内での突然死や死亡事故についても、犯罪事件と同様に現場の保存や管理、また正確な記録を残すことを強く勧告している。

19. Physical Restraint, Handcuffs, Detention and Custody of Suspects

身体の拘束、拘禁、留置などの実際的な方法や手錠の使用に関する具体的な注意事項などが書かれている。身柄を留置するにあたっては” Custody Assessment Form” に基づき当該者の精神的・身体的状況について正確に評価すること求めている。

20.Jurisdiction

船上における事件の管轄権は複雑で、船舶が領海にあるのか、公海か、他国の領海か、犯罪行為の種類、船籍、容疑者の国籍により管轄権が変わり適用される法規が異なる。このマニュアルでは管轄権に関するマトリックスを作成して表示しているが、実に19種類の欄がある。こうしたマトリックスは日本船長協会の会員が乗船する船舶にも備え付ける必要があるのではないだろうか。

21.Coroners Jurisdiction

海上における検視官の管轄については英国では定められていない。遺体を収容した船舶の最初の入港地でその港湾を管轄する検視官により検視が行われるとのことである。

22.Legislation

ここでは船上での事件に適用される法規が挙げられているが、1995年の英国商船法がもっとも重要であり、そのほか警察の証拠保全に関する法、捜査に関する法などが挙げられており、いずれもワンクリックで当該法律が参照できるような様式となっている。

23. Police/External Agency Assistance,24.Military Assistance 及び 25.Other Agencies

本船が援助を請求できる行政庁やその他の関連官庁・組織について述べられている。

26.Language & Interpreters

船内にあってはたとえ多国籍であろうと乗組員の間や、同じく多国籍の旅客との日常の意思疎通はそれほど大きな問題ではないであろうが、法廷に持ち込まれるような事件の供述書となると全く話は違ってくる。もし目撃者/証人が英語(日本語)を全く話せない場合は通訳を使用しなければならない。供述書の適切な作り方は以下の通りである。本船警備員あるいは担当者が質問を行い通訳を介して回答を得る。通訳はこれを当該外国語で書きとめる。目撃者はこれを読み外国語で書かれた供述書に署名をする。通訳は英語(日本語)で彼自身が通訳を務めた事実及び日時に関する声明書を作り、同じく外国語の声明書を作成する。そして通訳は外国語の供述書を英語(日本語)に翻訳し声明書と共に証拠とする。

27.Crown Prosecution Services

これは英国の公訴局であり、その業務の紹介である。

28.Media Protocol

船舶における事件についてはマスコミが直接現場にアクセス出来ない場合が多く、いきおい不確かな情報や推測によるものが多くなる。結果的に遺族や関係者を傷つけ、また捜査やその後の裁判にも大きな影響を与えることとなる。正確かつ迅速な情報の提供は何よりも重要である。
まず情報発信の窓口を一本化する必要がある。また捜査に当たる警察や海上保安庁など複数の関係官庁とは連携を密にし、外部に情報を提供する前にまずこれらのパートナーと情報を共有しなければならない。
情報を提供するにあたって、推測や憶測があってはならない、そして確認された事実、数字だけを述べねばならない。被害者の被害の程度や状況などは本人もしくは遺族・近親者の了解を得たもののみ提供すべきである。

29.Annexes

索引や各種の書式のサンプルなどが挙げられている。

おわりに

このマニュアルはページ数にして201ページであり、さらに各種の書式や関連法規などがリンクされているので、全体としては相当なボリュームとなる。このマニュアルに目を通して感じるのは、事故の処理や捜査の進め方には膨大な量のノウハウの積み重ねがあり、そのような知識・経験の蓄積のうえに今日の捜査技術があるのであろう。特に事件現場の保存や管理、証拠の収集・保管管理については実に細かい手順があり、読んでいてうんざりするほどである。しかしこのような細心の注意を払って捜査が進められ、事件の解明に結びつくのであろうから一市民としては安心も出来るわけである。
船長としてあるいは保安担当士官として、このような事件や事故の処理に当たる可能性は少ないと思うが、あり得ることであろう。その際には被害者、目撃者/証人さらには被疑者に対しても人権への配慮は十分にしなければならいし、5W1Hに基づいた正確な記録は欠かせない。また現場及び証拠の保存管理も細心の注意を以て当たらねばならない。そのような時にこの種のマニュアルがあれば役にたつであろう。特に多国籍の乗組員が乗り組む船舶にあっては、英文の供述書や報告書のサンプルは有用であろう。
このマニュアルをIMOの文書として採択し国際的なガイドラインとして採用するには大幅に書き直す必要があると思われる。言うまでもないが、本来このマニュアルは英国船と英国船員のために作成されたものであるから、各国の法体系を考慮して普遍的なものにする必要がある。また本船が援助を請求できる行政庁、各国主管庁、各国の団体や組織についても整理しなければならない。
現在でさえ負担の大きい船長にさらにこのような知識や技能を義務化することには大いに躊躇するところであるが、あらゆる面での不慮の災害や事故・事件に備えるのは船長の大事な職務であり、このマニュアルに挙げられているような場面に遭遇することはありうると思う。直ちに外部の援助を得られない洋上にあって、このような事故・事件を処理するためにはやはり基本的な知識・技能は必要と考える。その意味でIFSMA がこのマニュアルをIMO 文書として採択推進というプロジェクトに参加することを決めたのは妥当であり、文字通りの当事者として作業にあたり、船長にとって真に使いやすいものとすることを期待している。筆者としても出来る範囲で協力したいと思うが、そのためにも会員諸兄の忌憚のないコメントを期待する次第である。


(一社)日本船長協会 副会長 赤塚宏一

 

LastUpDate: 2024-Apr-24