IFSMA便り NO.30

海賊問題と博士論文 (一社)日本船長協会 副会長 赤塚宏一

日本籍船武装警備法案(海賊多発海域における日本船舶の警備に関する特別措置法)廃案の報はまことに遺憾であった。学校で良識の府と教えられた参議院で党利党略以外の何者でもない問責決議でこの法案を葬ったことは許せない。一船を預かり乗組員の命を預かる船長、そして家族が待ち望んでいた最低限の安全保障を踏みにじるまことに恥ずべきふ るまいである。国民の選良と称される彼らは一体どこを向いて仕事をしているのであろう か。
政府当局者は秋の臨時国会に法案を再提出するとのことであるが、本誌第413号(平成25年2 月・3 月号)で長谷部正道氏が重要事項として指摘されたようにこの法案はスピード感をもって成立させなければならない。既にドイツは民間海上警備会社の認証制度の運用も始めており、今後早期にドイツ船籍船には民間武装警備員が乗船するであろう。主要海運国の船舶で日本籍船のみが丸腰であるとわかれば海賊に狙い撃ちにされる可能性があるからである。改めて関係者の努力を望みた い。  さて、これまで海賊についてあまり書いた ことはないが、法案が廃案になったこともあ り、改めて海賊問題と武装警備法案を考えるために手元にある資料を二つほど紹介することとした。

Ⅰ.『 船上で武装警備員を使用するこ とによって生じる船長の責任』

これは4 月にメルボルンで開催されたIFSMA 総会に提出されたが、著者が出席出
来なくてプレゼンされなかったペーパーである。著者はフランス船長協会のCapt.V.G.Havelka である。彼は数年前まで活発に活動しており、船長に関わる時事問題を論評し、ペーパーを提出するIFSMA 総会の常連であった。このペーパーが提出されたので久しぶりに会えるのかと楽しみにしていたが、それは叶わなかった。さて、Capt Havelka のペーパーをなるべく簡潔に紹介してみたい。なおこのペーパーは今年の3 月に書かれたものであり、今回紹介するにあたりCapt.Havelka に内容について修正あるいは追記することはないかと照会したところ、フランスでは少なくとも本年末までは事情は変わらないし、他の国々の情報についても彼の知る限り修正を必要とするような事態はないとのことであった。しかし海賊問題を取り巻く国際情勢は常に動いており、会員諸兄はこのこと を頭において読んで戴きたい。

以下がこのペーパーの概要である。

IFSMA はこれまで船上において武装警備員を利用することに極めて否定的であった。それは船上の武装警備員と船長の指揮命令権限・責任・義務などが明確でないからである。その事情は現在も変わらないが、既に民間武装警備員を供給する会社は200社を超え、また武装警備員を乗せた船舶はこれまでハイジャックされた例がないところからIFSMA での雰囲気も変わっているであろう。しかし注意しなければならないのは欧州連合のなかでもフランスとオランダは民間武装警備員の船上での利用を認めてはいない。また民間武装警備員を提供する会社の中には武装警備員が乗船するのではなく、武装警備員を乗せた高速艇を伴走させるものもある。フランスの警備会社GALLIC Security がこれにあたる。この場合船長と警備員との関係は間接的なもので、船長の責任や権限は従来と特に変わったものとは思えないが、実際に発砲するようなケースについて考察してみると必ずしもそうとは言えないことがわかる。
武装警備員の利用にともなう問題点は技術的、武器の仕様、船上における武器の保管、海賊抑止の方法、沿岸国との関係、コスト等々あるが、ここでは船長の責任に絞って考察したい。武装警備員を乗せた場合、あるいは護衛艇を使用して実際に発砲事件が起きた場合、船長は訴追されるのであろうか。

国際法

よく「国際法のもとで、- -」という記載を見かけるが、あまりに漠然としたいい方で具体的にどのような法が適用されるのか判然としないケースが殆んどである。海運についていえばただでさえ複雑な法体系のもとにあり、それらの法が矛盾する場合も多々ある。国連、IMO、ILO(国際労働機関)などの国際機関がそれぞれの条約を採択/発効しているが、必ずしも全ての国や地域をカバーするわけでもなく、加えて条約の解釈にも差がある。沿岸国/寄港国の法や規則、二国間の条約もある。船舶自体も便宜置籍船の問題や多国籍乗組員といった事情もある。さらに公海か領海か、軍艦あるいは公船といった問題もありうる。
民間武装警備員の乗船については、すでに多くの国で何らかの形で許可/承認されたものであろうし、武器の使用についても規定を設けているであろう。
例えばノルウェーの法律では“The use of force must be limited tocases in which it is, ‘necessary, justifiableand proportionate’ ”と規定されている。
しかしnecessary や justifiable の実際の判断基準は何か、また護衛艇が海賊行為を抑止するために武器を使用するような場合、護衛艇自身が海賊行為を働いたと判断されるケースもありうるし、船長がその一部とされることも考えられる。要するに現在の国際的な法体系のなかでは、民間武装警備員が武器を使用した場合、船長の責任はどうなるのか、免責されるのか誰にも分らない、というのが現状であろう。

民間海上警備会社との契約

上記のような状況に鑑み会社と船主が警備契約を締結し、互いの責務を、特に船長の指揮命令権、責任や権限を明確にしておくのは非常に重要な事である。これについては当事者が双方の権限や責務について明確で統一された、そして国際的に受け入れられる契約を締結することは誰しも望むところであろう。 しかしこれは多くの場合願望に過ぎないかも知れない。
契約書の種類は民間武装警備員会社の数ほどあるが、武器使用についての船長の関与について分けると2 種類あるのではないかと思う。一つはノルウェーの法律で代表される武器の使用にあたって船長が関与することを求めるもの、他の一つは武器の使用について船長の関与をさせないBIMCO(日本船主協会の海運用語集によるとボルチック国際海運協議会。1905年に発足の“The Baltic and White Sea Conference” が前身。メンバーは、船舶代理店を含むブローカーの他、PI 保険等を含む「クラブメンバー」や船級協会や海事法律事務所、損保や銀行等海運に関心のある「準メンバー」により構成されている。
BIMCO の事業としては、傭船契約等書式の標準化が有名。IMO の諮問機関)の標準契約書Guardcon である。
ここで船長として留意しなければならないのは、船長には武器の使用を中止させる絶対的な権限があることである。この2 種類の契約書の船長の責任の違いは弁護士や法廷の解釈に委ねることになろうが、武力の使用を中止させる権限を持ち、その権限を行使する具体的な機会があったにもかかわらず、そうしなかった場合、船長はその結果に対して責任があると考えられる。
フランスでは民間武装警備員の配備を認めない代わりに船社は軍当局と契約を結び軍人の派遣をうける。インド洋に展開するフランスの大手水産会社SAPMER の場合はフランス海軍から警備員が派遣される。船長は武器の使用について関与するが、使用の中止については関与しない。フランス船長協会の元会長であり、IFSMA の副会長でもあったCapt Yannick Lauri(筆者注 彼とは8 年ほど一緒にIFSMA で役員を務めた)は現在このSAPMER の社長を務めているが、この方式についてコストと効率性の面から満足しているという。

船長の権限と危機管理

これまでIMO においては海賊問題については多くの時間が割かれ、一連の回章が採択されたが、これらは暫定的処置とも言うべきもので引続き審議は行われより具体的な措置が講じられると思う。これらの回章はいずれもSOLAS 条約(海上人命安全条約)の第j!
―Ⅱ章第8 規則に謳う船長の権限を前提に策定されている。
The master shall not be constrained by the Company, the charterer or any other person from taking or executing any decision which, in the professional judgment of the master, is necessary to maintain the safety and security of the ship.
「船長が専門家として、決定を行い、決定 を実施することが、船主、運航船社などの如何なる者からも制約されないことが、船の安全と保安を維持する上で必要である。」

先に述べたBIMCO の標準契約書Guardcon はそのSection 4 – 8 にて

(a)The master shall,—-, have and retain ultimate responsibility for the safe navigation and overall command of the vessel. —–
(d)Nothing in this Contract shall be construed as a derogation of the Master’ s authority under SOLAS.
とあり、SOLAS 条約に則ることを明記している。
一方ノルウェーの法律では武力の使用に関し船長に特別の権限を与えている。
すなわち
“The decision to use force to repel a pirate attack is the master’ s alone”
「海賊の攻撃に対して反撃するために武力を使用する決定を下すのは船長である」
これは法律であるから、違反に対して当然罰則がある。しかし正当防衛と認められれば罰則は適用されないであろう。
船長が武力の使用の決断に直接関わろうと関わらないであろうと、一旦武力の使用があれば船長はその結果につき法的な問題に直面することになるであろう。公海上であれば船籍国の法律が、領海であれば沿岸国の法律が適用されるのが原則であろうが、実際はそう簡単ではない。フランスでは船内で起きた殺人事件であるRuby Case(筆者注 残念ながら詳細不明)では管轄権が大きな問題となった。またエリカ号海難(1999年12月8 日、マルタ船籍のエリカ号はフランスのダンケルク港でC重油を約30,000トン積載してイタリアのリボルノへ向けて出航したが、12月12日フランスのブルターニュ沖80マイルにて荒天のため船体が折損した。積み荷であるC重油のうち、船首部に6,000トン、船尾部に10,000トンの油が残っており、約14,000トンは海上に流出したと推定される。)では、10年以上にわたる法廷闘争において未だにフランス政府の司法管轄権に異議が申し立てられている。
軍当局による警備についてはどうだろうか。海事関係者にはよく知られているように2012年2 月にイタリア船籍のエンリカ・レクシエ号に武装警備員として乗船したイアタリア海軍の隊員がインド人漁師2 名を誤殺する事件が起きた。これは公海上で発生した事件である。しかし現在インドで刑事手続きが進行中であり、事件の司法管轄権を巡りイタリア・インド両国は鋭く対立している。ネットに掲載された法律専門家の分析によると船長もインド政府により訴追されうるケースであるが、たまたま幸運にも見逃されたというべきである。今年の1 月、インドの最高裁はイタリア人隊員2 名に対してインドの法廷で訴追されるべきであるとの決定を下した。
武装警備員を旗国の法律に従い乗船させている船長は、武装警備員の乗船を認めない沿岸国の司法機関により訴追される可能性もある。要するに船内で起きることに対しては全て船長の責任であり、またどのような法律が適用されるかは予測できないというべきである。武装警備員が公的機関から派遣されたものであれ、民間機関であれ船長を100% 保護してくれる法的なシステムはないと考えるべきである。船長は自衛する方法を考えねばならない。IFSMA が提唱し2010年に創設された船長のための法的費用の負担や休業中の所得を補償する保険MasterMarinersProtectに加入するのも一つの方法である。
最後に武装警備員を手配する場合、船長として最低限準備、そして実施しなければなら ないと思われる項目を挙げておきたい。いうまでもなくこれはあくまで例示であって限定列挙ではないので考えられる全ての準備をしておかねばならない。
☆ 武装警備に関わる適切な契約書の保管管理と関係する全ての法律、規則集の用意
☆ 武装警備に頼るのは最後の手段であって、海賊対策のBest Management Practiceを忠実に実施すること
☆ 武装警備員の手配は旗国の法律に厳密に基づくこと
☆ 船長として武器の使用や発砲に関わる時には契約書及び旗国の法律に厳密に基づくこと
☆ 発砲や武力行使の中止については速やかに決断すること
☆ 武装警備の船内における地位について、乗組員なのか、員外船員なのかあるいは乗客なのか明確にして必要な書類を整備する。
このペーパーは学術論文ではなくIFSMA総会において、船長として海賊対策のための武装警備員手配をした場合の問題点を指摘して、議論を深化させることを目的としている。
従って詳細な考証や注釈などはなされていない。まずは船長として問題点が奈辺にあるの か把握するのを意図としている。

Ⅱ.「 公海上の航行の安全確保に関する国際法と国際協力の課題
~ソマリヤ沖海賊の訴追を中心に~」

次に紹介するのは、学術論文、それも理論法学の博士学位論文である。著者は兵庫県第一選挙区選出の自由民主党衆議院議員 盛山正仁氏である。現在は法務大臣政務官を務めている。指導教官は海洋法条約の権威である 神戸大学大学院法学研究科の坂元茂樹教授である。

論文の要旨は、海賊に関わる国際法の整備は徐々に進められてきたが、そのもっとも重要でかつ根源的な国連海洋法条約が海賊の取り締まりについて規定するものの、その後の司法手続きについての定めがないため、各国は拿捕した海賊の取り扱いに苦慮している、このためこの論文では、国際法上の課題、特に訴追のあり方を中心に検討を行うとしている。

さらに海賊行為を抑止するための国際協力のあり方、特に拿捕した海賊の訴追、さらにソマリアに対する支援についても検討されている。
論文は巻末に20ページ以上の参考資料を付した200ページを超えるものである。少々煩瑣となるかも知れないが、目次に沿って内容を紹介してみたい。
第1 章「はじめに」に続いて、第2 章は「ソマリア沖海賊問題の背景」として第1 節は海賊の歴史を紀元前のフェニキア人の海賊行為から大航海時代やその後の私掠船、現代のマラッカ・シンガポール海峡における海賊、そしてソマリア海賊へとつなげている。第2 節はソマリアという国、第3 節、4 節は海運、船員、船舶に割かれている。ここは海運の基礎とも言うべき事柄が要領よく述べられているが、欄外注釈も面白い。そして第5 節は「国際法と海賊」として、海賊に関する法律的考察や国際法について古代から現代までを俯瞰している。
第3 章は「ソマリア海賊問題への対応」として、IMO、国際連合、その他の国際機関、団体、各国の対応、そして日本の立場を明確にしている。
第4 章は「ソマリア沖海賊問題の解決に向けて」と題して、国際法の課題、ソマリアに対する国際協力について考究されているが、このあたりがこの論文の中心ではないだろう か。本章において「国際法は、主権国家がその領域内においてあるべき行動をとるという前提で、国際社会を規定するルールであるが、その前提である主権国家が破綻している場合にどのようにして国際秩序を守っていくのかということについても考慮する必要があると思料する」とあるが、ソマリア海賊問題はおおかたがこれに尽きると思われる。最近では国際機関の援助や各国の支援でなんとか自治回復の道が開けつつあるようだが、主権国家としての有るべき姿とは程遠い。またソマリアのように主権国家が破綻していなくても破綻国家予備軍はまだまだ存在する。西アフリカ・ギニア湾の海賊行為はこうした破綻国家予備軍のなせる業である。
そして第5 章は「おわりに」としてこれまでの問題点を整理して、今後の課題が述べられている。

以上はこの論文のごく簡単な紹介で目次の紹介程度と考えて戴きたい。博士論文を読み通すようなことは滅多にないが、たまたまゆっくりと時間の取れるような環境にあったこともあるが、やはり論文自体が面白かった。海賊の歴史や海事一般については、自分の知識と照合し補足し、また新しい知識を得る楽しみがあった。国際法関連については、こうした実際的な問題意識を持って読むと素直に頭に入るようだ。海運や海賊についてある程度の知識がある人にとっては大変興味深い論文と言える。 この論文は神戸大学のWEB から閲覧可能なので興味のある方は一部分であっても読んだら面白いのではないだろうか。
この論文は昨年から本年初めにかけて執筆され、2 月に神戸大学へ提出、3 月25日に見事に博士号を授与された。著者はその時期、熾烈な衆議院議員選挙を戦っていたのであるから、この論文は超人的努力・能力の賜物と言わざるを得ない。
IFSMA はこれまで海上における法体系の複雑さ、さらには各国のその恣意的ともいえる運用のため、船長及び船員は海洋汚染事故等にともない幾度も不当な犯罪者扱い(Criminalization of seafarers)を受けてきたと指摘している。犯罪者扱いを受けた当事者の苦痛と損失は極めて大きいが、それに止まらず船長や船員を志す多くの若い人々の意欲を喪失させてきたことを非常に遺憾に思っている。海上で発生した死亡事故などは、その適用される法の複雑さにおいて海洋汚染事故の比ではない。上述したイタリア船籍エンリカ・レクシエ号ではインド・イタリア両国がその管轄権を巡って鋭く対立しているが、ここで言えることは陸上で発生した事故/事件と真にグローバル化の進んだ産業である海運界で起こりうる事故/事件の処理において、その複雑さは次元が違うことだ。便宜置籍船、多国籍乗組員、船主と運航者、領海と公海、国際法と旗国の法律、沿岸国の地域的な規制や規則といった問題がある。
願わくは、Capt. Havelka が指摘し、懸念する武装警備員乗船と武力の使用に関わる法 体系の安定性について、この論文の著者盛山正仁氏が考察を深めて戴き、さらには法務大 臣政務官として日本籍船武装警備法案を成立させ、その実際的かつ適切な法の運用に努めて戴きたいとおもう。


LastUpDate: 2024-Nov-25